この前書いた絵本と里見八犬伝のこと*1、詳しく書こうと思ってるんですが、その関係で、ミカヅキの考える絵本のことをまとめようと思います。
極めて独善的な内容ですので、電波系文章戯言と思ってください。

まずは「物語」ありき。「物語」とは、「キャラクターの生活」だと、ミカヅキは思っています。同じ内容でもそれがなければ、「あらすじ」や「プロット」、あるいは「物語の説明」になります。
「物語」の起源は、多分人類の発祥とともにあると信じているのですが、それは「現実・事実」を人の脳内で変換、翻訳したものだったのでしょう。「物語」は人の脳から飛び出します。最初は「口伝」でした。語り部とかそういう人のお仕事ですね。大体は、直接的に生産に関わることのできなくなった「お婆さん」*2のお仕事だったようです。このあたり「絵本」とはまったく関係ないです。
「物語」はその後も人類の価値ある文化として、詠唱、壁画、絵画、文章、映像、動画など様々な媒体で記録、記述されるようになります。メディアとは記号化であるので、脳内情報の記号化と言ってもよいでしょう。逆に言うと、記号化された「物語」を享受することは、他人の脳の中を覗くということにほかなりません。ですから記号化に際し、より高度な記号が必要です。

さてさて、「絵本」とはもちろん「物語」の「記号化」の一種であることは異論が無かろうかと思います。
「記号化」の種類、つまりメディアの種類は大きく分けて、「音」「文字」「絵」に分類されます。しかしそれぞれ種類の境界線は曖昧で、また複雑に結びついています。まあ、ぱっと見て「絵」なら「絵」であるという認識で十分でしょけど。

「絵本」を考える時に重要な記号は、「絵」と「文字」です。表面的にはこの組み合わせで、「小説」「絵本」「マンガ」に分類されます。「小説」では「文字」が重要で、「マンガ」では「絵」が重要です。では「絵本」ではどうなのでしょうか。「小説」「マンガ」が、時には「文字」だけ、「絵」だけで成立するのに対して、「小説」はどちらか一方だけでは成立し得ないものではないでしょうか。っていうか、めんどうなのでそういうことにします。(ミカヅキ的には「絵」だけの「絵本」は「マンガ」の一種と位置付けたいです。逆に、純粋に「文字」だけの「絵本」ってあるのでしょうか?もしあったとしても、それは「詩集」ってもんなんでしょう。)

すんません。ちょっと中断。

*1:http://d.hatena.ne.jp/danxmikaduki/20040421#p1

*2:文化人類学的には、殖は生産の一端を担うという考え方から、生殖能力の無くなった男性も含むそうで、この「お婆さん」のおかげで、人類は食うためだけに生きるのではなくなって、いろんな非生産的行動=文化を発達させることが可能になったようです。あと犬も。