欲望のあり方

最近自らを鑑みる時、気になるのは女性への視点である。
いつから女性に対して性的意味合いを求めるようになったのか。
例えば、小学六年生の時、私は激しくスカート捲りを行っていた。
だが、そこに性的目的は無かったと断言できる。
女の子が嫌がるのが楽しいだけで、見えたからどうというものではなかった。
パンツであろうがブルマであろうがお構いなし。
女の子が嫌がることをするという行為の中に、性的萌芽を指摘するというのなら、人間の全ての行為にその萌芽が見えると言っているのと同じであり、つまり無意味な指摘であろう。
明確に性的興奮や欲望を自覚したのは、中学に入ってからだが、それが一年か二年かは、忘却の中である。
当時、明石家さんまが司会の風俗情報番組があって、11PM以上の過激なエロ情報を必死に見ていた。

11PMで思い出したが、性的興味は小学生の頃からあった。
その対象は、その11PMに出ていたヌードダンサーや、サンテレビでたまにやっていた「世界のヌードダンサー」などであった。
その時点では、性的興味は特定の個人ではなく、あからさまにエロな演出世界にあった。つまりエロは現実ではなく、非現実であった。