前の続き。ユウスケの話。
こいつは、俺のことを「ちゃん」付けで呼ぶ、たった二人の内の一人。もう一人は、俺の同級生でクラブの部長。女の子にちゃん付けて呼ばれるのはよくあるけど、男ではこの二人だけだ。
ユウスケは、関東出身で、高校入学ぐらいに大阪に来たらしい。俺はあまりこいつの家庭環境を知らない。本人がコンプレックスに思っている名前の由来ぐらいしか個人情報を知らない。
ユウスケは、俺に海外SFを教えてくれた。当時、俺が読んでいたのは、中学の延長で、菊池秀行、栗本薫橋本治梅原猛が中心であった。海外物は原書で読まなきゃ意味ないと思っていた。はい、馬鹿です。
創作の同人活動に誘ってくれたのがこいつだ。
俺の高校生活は、クラブ、読書、ダンパ、そしてユウスケと二人だけの同人活動だった。
三年間の高校生活を終え、ユウスケは東京の上智大学に入学した。大阪に馴染めなかった、ユウスケは喜んでいた。
俺は浪人後、関西の大学に入った。
当時は携帯などなく、電話嫌いの俺は、ユウスケと連絡をほとんどとらなくなってしまった。また、新しい大学での生活に夢中になっていたためもある。
大学で、コーへーと出会う。最初、俺にとってコーへーはプチユウスケであった。馬鹿にしていたわけではなく、どうしてもユウスケと比べてしまっていたのだ。いつの日か三人で話せたらよいなと思っていた。
ある意味、コーへーに負けるわけにはいかなかった。つまりだ、俺がコーへーに負けるというのは、ユウスケがコーへーに負けることだからだ。この個人的にライバル視しているのは今でも続いている。特に、コーへーのサイトを見た時は、あまりのかっこよさに、マジむかついたのは秘密である。同じ大学の友人のサオリンのサイトに関しては、おお、よく出来てるな、と素直に感心していたのに。そういうわけで、俺が自分のサイトを更新しないのは、コーへーが更新をしないからにほかならない。といっても、むこうは最近じわじわ更新してるが。
さて、ユウスケだ。
ある日、俺とユウスケの共通の友人から連絡があったのは、大学二回になるかならないかの頃。ユウスケと連絡が取れないという。この友人は、男の癖に電話好きなやつで、ユウスケともちょこちょこ連絡をとっていたらしい。少し抜けてる奴で、説明を聞いても要領を得ない。しかし、なにか実家のほうでも大事になているらしかった。そいつから、ユウスケの実家の連絡先を知り、電話してみた。ものすごく冷たい反応。それでも諦めずに聞いてみると、思想に走ってしまったらしい。ご両親も詳しくは知らなかったようだが、俺が思うに、多分、左の方に走り去ってしまったのだろう。実家のほうでもまったく連絡がとれないらしい。
ユウスケはもっと馬鹿だったらよかったのに。
確かに、高校時代、よく共産主義の話はした。基本的には、俺もユウスケも左だった。当時から反米帝っぽいことを言っていた。俺は、完全にファッションで共産主義を語っていた。まあ、俺の場合は親父の影響もあって、政治や思想に夢を見ながら失望もしていたのだが。俺にとって、政治や未来を語るのは、語ること自体が楽しかったのだが、ユウスケはマジで語っていた。
残念なのは、ユウスケの人間性をかんがみるに、奴は殉教者になりたがる傾向があった。少しナルシストだったのだ。ああいう奴が思想の世界での力関係で無事でいるわけがないと思う。
今、どこでどうしてるんだろう。