昔語り

実は篠原涼子が好きです。
「アットホーム・ダディ」も「光とともに…自閉症児を抱えて〜」も涼子ちゃんの為に見てます。
さて、実はミカヅキは乳幼児の時にある病気の疑いがあると医者に言われたそうです。
それは母にはかなりの衝撃で、ミカヅキと共に死のうと思ったぐらいだそうです。
どうやって思いとどまったかというと、ミカヅキの父は若い頃キリスト教にはまっていたらしく、その頃身につけた迷える子羊的思想で、「これこそ神が与えたもうた試練である」とかなんとか言ったからだそうです。キリスト万歳。
実際、それが誤診だったのか、あるいは奇跡的に完治したのか、あるいはそうではあるが比較的軽いものであるのかは未だに不明です。
なんならミカヅキが八年も大学に通ったのも、いまだにいわゆるフリーターなのもその病気のせいかもしれません。
なにはともあれ、今のミカヅキにはほとんど関係ないんですけどね。
結局人間はみんななんらかの病気を持ってるのは、いかなキリスト様でも否定できない事実ではあるかと思うのです。それに病名があるかないかの違いなんではないでしょうか。病気を治療するためには、その病気を特定し区別するために病名が必要なのは勿論なんですが、病院以外の場ではそれはかえって逆効果になることも多々ありますよね。難しく言うとシニファンとシニフェのあたりから、その構造を説明するのも可能ではありますが、今回はやめときます。まあ、逆ブラシーボ効果というのも現実にはあるわけで。

ちなみに命を救われたミカヅキがクリスチャンにならなかったのは、その当の父が宗教に限界を感じ好き勝手やってたからです。なにしろミカヅキが産まれた時、父はヤクザの人と揉めていたため、ミカヅキは母方の実家で産まれたぐらいですから。ちなみに姉は洗礼受けているのは父の思考の限界を表すものとして非常にミカヅキ的には興味深いのです。