過剰は異常

町山さんところのあたりで、正義とか正しいとかいう言葉を使う事に関して、過剰に反応する人が多くてびっくりしました。
その語の意味する内容に関する議論では、すこし面白い人がいました。リンクはっていろんな人が怖いので張りませんけど。その男の子(多分少年だと思う)の自然な感じの発言には感心しました。多分感じた事をそのまま書いたのでしょうけど、下手に情報に踊らされてる人なら、まず「発言した自分」がどういうふうに人の目に映るかというのを考えてしまうでしょうに(話題が話題だけに)、彼はさらりとある意味物議をかもすような事を書いています。そういう無計算な感じにミカヅキは弱いのです。いとおしく思います。でも勇気が無くてコメントできなかったけど。
内容的にも「既成事実=正しい」みたいな書き方が、なんか仏教的で好きだし。もう少しこの件が収まったら友達になりに行こうかと思っています。

「正義」という言葉の胡散臭さは、力と結びつく時に生ずるのであって、一個人が「正義」を口にする事を追求するというお馬鹿な展開を見せているところもありました。そういうことをする人こそ、実はこの世に「正義」なるものがあっていつかはそれが不正を是正してくれると本気で信じてて、今の自分は正当に評価されてなくていつか見てろよ俺だって、その時がきたらお前らみんな皆殺しだ、とか思ってそうで怖いです。「正義」の「義」は多分社会的価値観で、いわゆる「御迷惑をおかけしました」という謝りかたをする人と、それをさせようと糾弾に血眼になってる人々の多い日本の不健康さをあらわす言葉だと思います。まあ「大義名分」とかが大事な頃は、「正義」も良いものだったんだろうなとかは思います。そういう意味的な残滓を考えるにあたっては、闇雲に「正義」は「大量虐殺」に結びつく的な短絡思考はもういいんじゃないか、とか思いますが。だって、そういう過去があったにしろ、「正しい」道を模索するに当たっては、やっぱり個人個人の「正義」は考慮されるべきものじゃないでしょうか。

日本人は「受身的社会性」という特性を持っていると思うのですが、そうである以上、右翼チックな物事に過敏に反応せざるをえないという悲しい事実があるのかもしれません。