泣いてきました。もう、映画の後半はずーっと涙と鼻水出しっぱなし。
スパイディに感情移入がしやすく、ヴィランのドック・オクも、いい人だけにダーティーぶりがすばらしい。予定調和に安っぽさも感じなかったのは、監督の上手さなんでしょう。
そして素晴らしいハッピーエンド。
「もう終わりかよ!度」☆☆☆☆☆。
これだけ二作目が素晴らしいシリーズ物は久しぶりです。

「大いなる力には、大いなる責任が伴う」
これが前作のキーワードでした。
今回はそれが、ドック・オクとの絡みで「大いなる力=知性」となります。
さらにもう一つのキーワード。
「正義を行うためには、時に夢を諦めなければならない」
その間には
「選択」
というものが出てきます。

ミカヅキはこの流れをこう読みました。
「大いなる力=知性」とは、敷衍すれば個々人が持つ「個性」なのではないか。ありがちな言い方ですが、その人が持つ良さや特性、それこそが「大いなる力」なのではないでしょうか。
「個性」は「個性」のままでは、良い面も悪い面もあります。もの事にはすべからく二面性があるものです。それを「大いなる力」と認識する事がまず第一歩目。そうすることで、「個性」の良い面を伸ばす事ができるように思います。
そして、その「個性=おおいなる力」には「大いなる責任」が伴うと考えることによって、自分の生きる道が見えてきます。これが第二歩目です。「大いなる責任」の意味合いは少し曖昧です。ミカヅキ的には、「他人に対して自らの存在を証明する」というような意味に思えます。「自分が自分であることを証明する」のが、何故「責任」になるかというと、そもそも「責任」とは、「自分」と「他人」の間に生じる概念であり、また、生きることの意味を問う以前にその尊さを考えるならばよりよく生きるべきだからです。分りにくいかな。

「選択」とはこの場合はどういう意味でしょうか。映画の中では「ヒーローであることと、ただの苦学生であること」の間にジレンマを感じたピーター・パーカーは、「スパイダーマンであり続けるか否か」を「選択」します。そして、愛するMJを危険にさらさず、彼女の愛を得るためには、スパイダーマンであることをやめる決意をします。結果的には、「自分らしく生きる=正しく生きる」為には「スパイダーマンであること」が必要であるということになります。これは一種のエゴであり、「夢」に関わる事ですが、その事は後述します。さて「選択」ですが、これはミカヅキには「する・しない」の「選択」ではなく、「休む・休まない」の選択のように思えました。重要なのは自分で決めるということです。そして、自分が今の自分である事は、いかにほかに原因があるとしても、すべて自分の選択の結果なのです。そして、そのことに対し、タイムマシンにでも乗って過去に戻りでもしないかぎり、自分自身は逃れる事はできません。でも、自分自身と正面切って対峙するのが困難な時もあります。そんな時に人は、自分以外に、「自分自身の選択の結果=自分の現状」に対する責任の転嫁を計ってしまいます。他人のせいにして、問題を棚上げしてしまうのです。自分という原因を棚に上げて問題を解決しようとするのですから、根本的な解決には、絶対になりません。さらに悪い事態に陥る事もままあります。そういうときに、「無理しても意味が無いよ、ちょっと休んでもいいよ」というのが「選択」のいみではないか、とまあミカヅキは思ったりします。

そして「正義を行うためには、時に夢を諦めなければならない」です。「夢」とは「願望」であり「エゴ」です。そして「欲望」です。「夢」というと美しく聞こえて耳ざわりがよいですが、そういうことです。「自分らしく生きる」これもまた「夢」の一種です。「自分がしたいことをする」と「自分がなすべき事をする」の間にどのような違いがあるでしょうか。「己が欲望のためにはすべての犠牲を厭わない」というのは、生き方ですから、他人がどうこういうものではないでしょう。だから、ここには「夢」の対義語として「正義」がくるのだと思います。「夢」という個人的な願望に対して「正義」は非常に社会性の強いものだと思います。「正義」は、その定義が曖昧なため「個人的な主義主張」のように思われますが、社会構成のどのレベルに視点を置くかの違いだけで、実は非常に安定した概念なのではないでしょうか。要は「正義=属する社会の益になる行為」で、とくに「精神的に社会に益になる行為」なのだと思います。「悪を倒す」よりも「悪を改心させる」事の方が、よりよい正義なのです。ですから「自分も大事だけど、社会の要求も大事ですよ」ということですね。ただ、あまりに低いレベルの正義にこだわる必要はないと、ミカヅキは思います。いや、レベルとかじゃないか。まあ、「正義」という言葉の意味の解釈や、現実との兼ね合いとか考えたら、正義の正体はすぐに捕まえづらくなってしまいますが。

というわけで、社会に属する以上(これは前提条件で、属したくないと本気で思う人もいるかもね)、「自分の個性を活かし自己の存在を証明することは非常に大事ではあるが、それが社会の要求と対立する場合は諦めざるを得ないときもある」でもそんなときは、悩みすぎないでちょっと休んでみるとよいかもね、ということですね。

というわけで、ぜんぜん「スパイダーマン2」と関係なくなっちゃいました。