はてな映画デビルマン批評リンク集を発見
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20041016#p5
その中に以下の日記がありました。
http://d.hatena.ne.jp/rx78g/20041010#p1
「陋巷日記」
この日記を見て、やはり自分は原作至上主義者として曇った目でこの映画を見ていたのかな、と反省。
改めて、原作から離れた気持ちで映画を思い返してみようかなと・・・。

確かに、日本の特撮映画としてはそこそこ頑張ったのかな?
大体、日本人役者の特撮映画における演技力(というか演出?)不足は昔からのことだし。TVの場合は続けて見てるうちに慣れちゃうからね〜。
アイドル使うのもありっちゃあ、ありだし。どうせならジャニーズとか、ハロプロとかとがっぷり組むべきだったんじゃないかな。Gファイナルみたいにさ。
あと、デーモンなんだけど、CGに拘らず、着ぐるみでバンバン出せばよかった。シレーヌがあれなんだし、ジンメン着ぐるみでやっちゃえばよかったんだよ。角川の妖怪物への牽制にもなったよ、絶対。デビルマン自体も、着ぐるみとCG併用。最後のサタンとの戦いだけCGでさ。ゼブラーマンだってやったじゃん。その後、TV化して、着ぐるみデーモン再利用したりしてさ、ひょっとしたら新しい特撮番組のムーブメントになったかもよ。

でもどっちにしても、脚本の不味さは消せないかな。
監督の演出も・・・。ビー・バップ大好きなんで、かなり不満。特に牧村家に押し寄せる群衆の狂気が感じられないのは痛い。
ミーコはね・・・。ミーコの扱いを見ると、デビルマンもサタンも単なる一デーモンにしか過ぎなくなるので、作品としては不必要なエピソードにしか思えません。雑音といってもいいかも。
ただ、一般的に好評かを受けているようなので、ありなんでしょうね。
どうせなら、美樹とミーコを融合して新しいキャラにしちゃったら良かったのかも。大体美樹ちゃんが死ぬ意味ないじゃん。美樹ちゃん死んで、明はサタンに向かって「俺を殺せ」とか口走っちゃうし。じゃあ自殺かよ。映画の明は、やっぱガキで、人間を護るなんてこと重荷だったんだろうな〜。そう考えると、前半のへたれっぷりと上手くかみあうな。

2004年10月月15日〜17日
1 THE JUON /呪怨
2 シャーク・テイル
3 SHALL WE ダンス?
4 FRIDAY NIGHT LIGHTS
5 チーム・アメリカ
6 LADDER 49
7 SURVIVING CHRISTMAS
8 TAXI
9 THE FORGOTTEN
10 I HEART HUCKABEE

凄いよ呪怨。いきなり4000万ドルをたたき出しました!

何故に、映画版「デビルマン」があれほどの駄作になったのか。
人それぞれの意見があるかとは思いますが、ミカヅキ私見を述べたいと思います。

監督、役者、CG、プロデューサー、果ては配給会社、そして現在の映画を取り巻く前時代的且つ排他的な環境・・・。いろいろ問題はあるかと思います。
しかし、ミカヅキとしてはあの脚本こそ最大の癌であると思います。

今回の映画の脚本の最大の特徴は、飛鳥了の迷セリフ「かみはいたか〜」の薄っぺらさが表すとおり、神の不在にあります。飛鳥了=サタンのアイデンティティーは、「不動明への愛」と「神への反抗心」です。サタンをサタンたらしめている二つの大きな柱のうちの片方が完全に消去されてしまったのです。
*1
このために、サタンのキャラクターは幼児化を余儀なくされました。サタンの存在意義は、単なるデーモン一員でしかなく、明への愛は不可解な一方通行なものに成り下がりました。「神への怒り」と「地球の先住民という権利意識」の無いデーモンは、「大義無き力」でしかなく、そのいみではそのへんのチンピラと同じです。そしてこの価値の喪失は、デーモンの敵である「デビルマン=明」にまで及びます。チンピラの喧嘩相手は、やっぱりチンピラでしかないのです。だから、映画で「不動明」は「同族」であるはずのミーコを見殺し(に近い状態)にします。
*2
そもそも物語はキャラクターが中心です。「主役」をいかにして描くかが最重要なはずです。物語の中に含まれる要素の総ては、「主役」を表現するためにあるのです。その意味で、一番重要な存在が「ライバル」です。「ライバル」は主役の鏡であり、補足なのです。その最重要なキャラである「サタン」の最大の要素である、「神に関する設定」を無くしてしまうというのは、「神でも悪魔でもある最強の敵」に敢然と立ち向かう「悪魔でもあり人間でもある不動明」という図式を「よくわからないけど強いが頭の弱い生物の一匹」に無様に死をこいねがう「よくわからないけど強いが頭の弱い生物になってしまった不動明」というどうしようもないものにしてしまうということなのです。
物語の根本が、こういうものに成り下がってしまったため、それを取り巻く総ての要素は馬鹿げたものにしか見えなくなってしまいました。
*3

*1:「人間不動明への愛」は、原作版でもその根拠は明確ではなく、「両性具有だから・・・」という理由とも付かない理由で示唆されるにすぎません。無理やり解釈するならば、「両性である」=「サタンはパートナーとしてどちらの性を選択することも可能」ということであり、また「性別不明ではないということは、異性のパートナーを必要とする」というふうにも解釈できると思います。それを踏まえると、サタンがパートナー(その正確な意図は不明ですが、多分に精神的なものだと思います。結果論ですが、神に対峙する為に必要なのではないでしょうか?)を必要としており、それが「不動明」という精神だったのではないでしょうか。物理的に共に闘う仲間ではなく、精神的にサタンの支えとなる存在こそが、不動明だったのだと思います。以前の神との戦いでは、そのパートナーがいなかった故の問題もあったのではないでしょうか。そして、飛鳥了として人間界に潜入しているうちに、「不動明」と出会い、神との戦いの最後の欠片を見出したのではないでしょうか。ミカヅキ的には「不動明」が「アモン」と合体した事すら、サタンの戦略だと思っています。そして「バイオレンスジャック」における「人犬」は、「神としての後悔」ではなく「明の死」=「四肢を喪失」ということの表れなのではないでしょうか。「バイオレンスジャック」の世界で、「ジャック=明」は人間の様々な姿を垣間見ます。善も悪も、生も死も、「ジャック=明」は「関東」で人間の本質を見たのではないでしょうか。そして、サタンは二度目の戦いでは退きます。次に、「デビルマンレディ」の世界を生み出すために・・・。

*2:デビルマン一族の長である明を失った他のデビルマン達は、永遠にゲリラ的にサバイバルを行うしかないのです。日本刀を手にしたミーコの戦いが無様なのは、戦う意味に大義がないからなのです

*3:もちろん、「神」を描く事の難しさというものはあるでしょうが、それはまったく別の問題で、そこで初めて監督の手腕の話になるのではないでしょうか?今回の映画において、監督の最大の落ち度は脚本に対してノーを言わなかったことだと思います。

映画版「デビルマン」を観ました。
あまりのあまりさに体が弱り、おりからの台風で完全に風邪に。
*1
そしてほぼ一週間。
なんとか立ち直りつつあります。

*1:島本和彦著「吼えろペン」11巻『暗闇に向かっていけ!!』参照

マジで今気がついたよ。

なにげにネットいじってたら、みんなのうたDVDの話が。
そこでふとミカヅキの脳になんらかのスイッチが入りました。

ん。そういえば、あれの正体ってあれじゃないのか?
ああ。そうだ、絶対アレだ!
説明にも合致してるし、なにより名前がまんまではないですか!
そりゃ、小学生の時は気付かないよな。
すごい、なんかかなりすっきりした!

何十年は言い過ぎとして、二十年ほど疑問に思っていたことがついに理解しました。
例えるなら、ヘレン・ケラーが、水に名前があると知り、物にはみな名前があり、そしてサリヴァン先生にも名前があり、それをもって他者の存在を自己に容認し、他者と自己との関係を体感したような、そんな感動がありましたYO。

さらに例えるなら、FPMPだけではなく、スパイラルハリケーンがJのスーパーブロウだと思い出した時にも似てます。すっかりスパイラルハリケーンは、マジンガー系か車田系だと思い込んでいたのでした。

デスノート

デス・ノート18巻を読んだ。
ついにリュークリュウガの因縁が明らかになり、ライトがキラに戻る時が近づいてきた。
すべての死神を司る超死神大王が地上に顕現する事を、ライト=キラは阻む事ができるのか!
見所は、独立した存在として独自の行動をとっていたネガティブライト=キラの危機の現場に現れたライトの選択。愛ゆえにミサの精神を乗っ取ったレムの結末。ついに登場した五神目の死神ロズの真意。
デスノートに作用することで、死者を蘇らせる、デスイレイザーは誰の手に!

・・・・・・すいません。
しかし、多分延命工作と思われる現在のデスノートの展開に大いに不満を感じているわけですよ。
現時点で、キラとLとの対決はお預け。
なにやらレベルの低そうな悪人の登場。
そもそも現在のライトの品行方性ぶりはいかがなものか?
それほどまでにデスノートに操られていたのか、言い方が悪ければ影響を受けていたのか。ライトの本質はキラであって欲しいのに。

現在の展開は一過性のもので、速やかに元の流れに戻って欲しいと切実に思います。